ヤンキースの歴史 |
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ヤンキースの名前の由来ヤンキースの名前は取り立てて球団側が命名したものではない。みんなが自然とそう呼ぶようになったのだ。もともとボルティモアに本拠があったオリオールズが、マンハッタンの北部に移転。高台にグランドがあったことから、ハイランダーズと呼ばれ、またアメリカ北東部の開拓者を称してメディアは好んで「ヤンキース」と呼ぶようになった。「N」と「Y」のロゴマークは、ガラス細工職人のティファニーによる有名なデザイン。 ベーブ・ルースが入団その後、現在のブロンクス区に移り、ボストン・レッドソックスからベーブ・ルースが入団、同時に1923年ヤンキースタジアムは建てられた。時はパックス・アメリカーナ(第一次大戦後のアメリカ史上、最大の繁栄期)の真っ只中。ニューヨーカーは、ヤンキースに酔いしれた。ベースボールがニューヨーカーの最大の娯楽となり、話題の中心はヤンキース、そしてベーブ・ルースであった。その後もルー・ゲーリッグ、ジョー・ディマジオ、ミッキー・マントルという大スター達が、このスタジアムで数々の名勝負を演じてきた。 ヤンキースの戦後戦後はメジャーリーグの西への拡大(ドジャースがLAに、ジャイアンツがサンフランシスコに)などもあり、ヤンキースの覇権は低迷するが、1973年にジョージ・スタインブレーナーが球団を買い取り、球団を率いて世界一を奪還する。その後17年間に17人の監督を解雇したのは有名な逸話である。 協調野球ジョー・トーリ監督の時代次々に監督を解雇してきたヤンキースであったが、ジョー・トーリが1995年から監督に就任すると破竹の勢いでリーグ優勝、ワールドシリーズ制覇を達成する。1998年にはシーズン125勝の最多記録を樹立し史上最強軍団を組織するに至った。そのジョー・トーリ監督の最も重視する野球がヤンキースの全員野球なのである。 ヤンキース黄金時代(5年間で4度のワールドチャンピオン)
* ハイランダーズがあった場所は、現在コロンビア大学医学部キャンパスになりました |